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茨城ナイト♪ [pray for japan]

 少し前になりますが、主人が茨城にある義父の実家に行ってきました。

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お土産は茨城のお酒です。


 そんな日の晩酌メニューは…

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新玉ねぎとトマトサラダ、厚揚げのトマトソース焼き、ほっけの干物。


 新玉ねぎもトマトも、そしてほっけも。みんな茨城産なんですよ。

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シメは主人作、たけのこご飯。


 このたけのこも、やはり茨城にある、私の伯母の家で穫れたもの。

 農家直送の野菜と地酒。この日は、茨城の恵みをありがた~くいただきました。



 茨城県北部にある義父の実家付近では、川の橋が崩れてしまったり、家が倒壊してしまったり、大きく被災した光景が見られたと主人。幸い親戚を含め、人命は無事でありましたが、復旧・復興にはかなりの時間がかかりそう…と主人が言っていました。

 意気消沈する暇もなく、力強く頑張ってる親戚たちを、川崎焼肉街で買い込んだカルビやロースを運んで行き、焼肉パーティーで盛り上げてきた主人と義父でありました。

 大きく広がる関東平野。おいしいお米や、大きく美しい野菜が豊富に穫れる、豊かな土地。それはこの国に暮らす人々みんなの財産でもあります。

 早く取り戻したい!

 その日が早く来るよう、祈るばかりです。



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共通テーマ:グルメ・料理

あれから2週間が経ちました。 [pray for japan]

 このたび、東日本大震災により亡くなられました方々へのご冥福を祈り、被災されました方々へのお見舞いを心より申し上げます。

 皆さまの中には被災されたご本人さま、ご家族・ご親戚・ご友人もいらっしゃるかと思います。また、支援活動、救助活動をされている皆さまもいらっしゃると思います。原発の最前線で復旧作業にあたられている皆さま!本当に尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。

 私には何もできません。節電をし、義援金に協力し、不要な買いだめを行わず、会社へ行き、子どもの世話をし、ふだんの生活をしながら、それが社会を再生させる力の一端なのだと信じ、ただ祈ることしかできません。本当に申し訳ない思いですが…。



 あれから2週間が経ちました。
 
 娘の小学校は、15日(火)から始まっています。毎日、防災ずきん持参です。防災頭巾は私も小学校の頃持っていましたが、初めてです、こういう風景。

 JRなどの交通機関も、本数に制限はあるものの、通勤に支障を来すことはなくなりました。でも、電車に乗る時、思い出します。あの日のことを。

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共通テーマ:日記・雑感

3・11、国道15号線。 [pray for japan]

 このたびの東日本大震災の被災者の皆様、心よりお見舞い申し上げます。

 一日も早い復興を祈り、一人の日本人として、せめて日々の勤めを一生懸命に行い、元通りの日常を取り戻す力になれればと思います。本当に小さな存在で、小さな力ですが、できることをやっていきます。あぁ、レディ・ガガになりたい!



 3月11日金曜日。私は東京・新橋の会社にいました。近郊での仕事から戻って席に戻り、PCに取材テープをコピーしているところでした。

 最初は大きくゆっくりとした揺れを感じました。2日前、同じような地震があったので、今回も同じと思いきや、突然、尋常でない揺れがフロア全体を襲いました。デスクの横のスチールラックから、いろいろなものが落ちてきました。

 私は川崎市の出身。石油コンビナートを擁する海岸側の小学校では、毎月のように避難訓練が行われていました。そこで覚えていたこと。まずは、非常口を開けること。

 私の会社のある古いビルは、エレベーターが1基。非常階段のあるドアを開けておかないと、ふさがって出られなくなってしまうかも…という小学校以来の記憶で、とにかく非常階段に走り、ドアを開けに行きました。

 しかし、揺れは止まらない。ドアを開けた瞬間、会社のビルが大きく傾いた気がしました。このまま折れてしまうのではないかと。そして、立っていることもできない揺れの中でドアを押さえ、外を見ると…

 隣のブロックのすべてのビルが、まともじゃない揺れ方をしているのです。大きいビルも、小さなビルも。まるで、コンニャクのようにぐにゃぐにゃと。見たこともない、恐ろしい光景でした。

 非常階段を、上のフロアの人がバタバタ降りてきました。「非難したほうがいい」と。

 娘はどうしたろう? その時刻はちょうど、帰宅した頃か、自宅を出て、学校から近いおばあちゃんの所へ歩いていく頃のはずです。川崎は無事だろうか?

 当然、こんな大地震が起きたら電話はつながらない。

 社内の人たちと、道に出ました。その場は、同じようにビルから降り、不安そうに立ち止まる新橋のサラリーマンであふれかえっていました。

 社内に戻ってみましたが、繰り返す余震の中、社長が社員たちに帰宅を指示。しかしまだ電話はつながりません。

 その時実家の母からメールが来ました。母は無事です、良かった。早く娘の安否を確かめなくては。

 会社を出る前にニュースの津波の映像を見ました。これが実際に起こっていることなのか? 喉がからからに渇き、息が止まりそうになります。

 娘は大丈夫なはず。言い聞かせながら、会社を後にしました。

 JRは止まっているという情報があったので、駅には向かわず、まっすぐ国道15号から川崎を目指しました。動き出したらそこから乗ればいい。待っていたら、いつ娘に会えるかわからない。暗くならないうちに歩き始めなくては。16時頃のことです。

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